2006年03月23日
続・なみいのブルース
ここ
でも書いた、
石垣島出身のなみいおばあこと、
新城浪(あらしろなみ)さんの歌を、
ふたたび聴いてきた。
会場となったのは、
東中野ポレポレ座。
本橋成一監督が、
約2年にわたって撮り続けた映画、
《なみいと唄えば》
が、ついに完成し、
その公開を記念して催されたライブだった。
この日のなみいは風邪をひいていて、
体調、けっこう悪かったと思う。
でも、なみいは、
そんなコンディションを、
正面から、突破しようとしているようにみえた。
声がかすれようが、
三線を爪弾く指がもつれようが、
決して守りに入ることなく、
目の前にいるお客さんに向けて、
思い切り声をしぼり出し、
次から次へと、ただ、ひたすらに歌いまくる。
この姿勢を貫くためには、
ある意味、たくさんのものを捨てなくちゃならないとも思うけど、
それでも、歌い続けること。
それだけはやめないなみいからは、
いさぎよさと覚悟を感じたなぁ。
立ち見まで出た会場のみんなも、
そんななみいに向かって手をたたき、
指笛や歌声で応えていた。
終演後、映画関係者のみなさんの出席する、
打ち上げにも出させてもらったんだけど、
そこで聴いた、なみいの生三線はすごかった。
マイクを通さず、
空気をふるわせる三線の音は、
まさに《音程つき打楽器》といった感じで、
まっすぐ胸に飛び込んでくる。
彼女がかかえている三線は、
9歳の時から、
ずっと弾き続けてきたものだそうだ。
お座敷に身売りされた9歳の頃、
きっとまだ、糸を押さえるのもおぼつかなかったなみいのちいさな指は、
沖縄民謡から歌謡曲まで、
ありとあらゆる歌を吸収しながら成長し、
その時代とともに、
様々な場面で、
たくさんの人によりそってきたんだろう。
お座敷で、陽気に奏でる恋の歌。
ひとりきりの、浜辺でつむぐ、望郷の歌。
そんなすべてを、
なみいとともに旅しながら、
彼女に抱かれて聴いてきたのが、
この三線ってことになる。
そんな、人と楽器の結びつきを想う時、
今、目の前で歌われる歌が、
さらに特別なものに感じられて、
この場所にいられることを、
本当に光栄だと思った。
帰り際、
彼女とはじめて握手した。
ずっとひとつのことを、
やり続けてきたその手は、
とてもやさしく、やわらかく、
ぼくの手を握ってくれた。
この感覚、
ぼくが世界で一番尊敬している、
大好きなジャズヴァイオリニスト、
ステファン・グラッペリーと握手した時に感じたものと、
よく似ていた。
そしてぼくは、
もうひとつ、
彼女にお願いをした。
「左手をさわらせてください」
80年近く、
三線の糸を押さえ続けてきたその指先は、
一体どんな風になっているんだろう。
「はい。左手ね」
微笑みながら、差し出してくれたその指先は、
びっくりするくらい、
やわらかいものだった。
なみいはヒャクハタチ(百二十歳)まで、
歌って生きるつもりだという。
「今から35年後のその日まで、
ぼくも歌い続けていられるかなぁ」
一瞬、そんなことを考えたけど、
きっとなみいは、
今、目の前にいる人に向かって、
ひたすら歌い続けていたら、
85歳になってたっていう感じなんだろうなぁ。
ぼくもそんな風に、
歌い続けていきたいと、
あらためて感じた、
なみいおばあの歌と三線だった。
晴れて、なみいがヒャクハタチを迎えたら、
もう一度、
左手さわらせてほしいなぁ。
100年以上、
糸を押さえ続けてきたその指も、
やっぱりやわらかいのかなぁ。
投稿者 Mプロ : 23:04 | コメント (2) | トラックバック
2006年03月11日
対岸の彼女
去年の暮れから続いていた、一連のライブも、
先週の岡崎で一段落。
ということで、
ここのところ、
図書館から借りていた《音声図書》を聴きまくってるんだけど、
そんな中の一冊、
《対岸の彼女(角田光代著)》は、
忘れられない本となった。
物語の中心となるのは、
17歳の葵と魚子(ナナコ)。
そして、35歳の小夜子と葵。
語弊があるのを承知で言えば、
彼女たちは、
《特別な人生》を、歩んできた人たちではないと思う。
仮に、葵や小夜子が実在して、
エッセイ執筆なんて話が舞い込んだとしても、
「私の人生なんて、
本にするようなものじゃないですから」なんて、
異口同音に断っちゃうような。
高校生の葵と、
娘と夫と暮らしている小夜子は、
《クラスにひとりはいるタイプ》なんてもんじゃない。
自信のなさ。
人との距離のさぐり方。
周りの流れに抗うことはできないけれど、
胸の中で感じる矛盾や嫌悪。
あこがれと不安。
きっと、男子であるぼくも含め、
クラスの半分以上の人たちが、
どこか自分と重ね合わせちゃうような存在だと思う。
最近観たテレビの中で、
「大切なのは《正否》ではなくて、
《共感》なんじゃないでしょうか」という言葉を話している人がいて、
もんのすご~く共感しちゃったんだけど、(笑)
まさにこの本は、
《共感の連続》だった。
主人公たちだけでなく、
その家族をはじめとした、
登場人物たちの、ちょっとした行動や言葉、
心の動き。
ほんと、数分に一度《共感》しちゃうような。
人が守ろうとしていたり、
しがみつこうとしているのって、
本当に些細なものだったり。
また、実に些細なことで、
傷ついたり、
傷つけたり、
嫉妬したり、
自信をなくしたりもするんだろうけど、
でも、
うれしくなったり、
やさしさやつながりを感じたり、
信じようとする力が沸いてきたり、
一歩を踏み出すことができるきっかけも、
実は、ほんの些細なことなのかもしれないと、
あらためて、感じたりもした。
ちょうど卒業を迎えたり、
学生生活の真っ只中にいる人にも、
ぼくと同じ世代にも、
おすすめしたくなる一冊だった。
直木賞も取ってる本らしいから、
すでに読んだって人もいるのかなぁ。
投稿者 Mプロ : 02:31 | コメント (0) | トラックバック
2006年03月07日
卒業おめでとうッ
この一年も、
講演ライブという形で、
保育園も含め、
小学校から大学まで、
たくさんの学校におじゃましてきた。
そんなあちこちの学校でも、
今頃の季節には、
卒業式が催されてるんだろうなぁ。
ただ、自分が卒業式にのぞんだ時のことを想いかえしてみると、
決して晴れ晴れとした気持ちじゃなかったんだよなぁ。
「おめでとう」なんて言われても、
何がどうしてめでたいのか、
さっぱりわからなくて、
漠然とした不安ばかりを、
圧倒的に感じていたし。
この時感じた不安の大部分は、
きっと、新しく出会う人たちに対して、
抱いていたものだと思う。
今まで自分なりに築いてきた、
環境や関係を、
半ば、強制的にリセットされた先で、
一体どれだけのことができるのか。
卒業後の世界を、
《未来》だなんて言われると、
いかにも輝かしいもののようだけど、
とても、そんな風には、
感じられなかったよなぁ。
そんなぼくが、
《未来》を、心から、たのしみにできるようになったのは、
音楽活動をはじめてから。
しかも、講演ライブに取り組むようになった、この数年で、
その傾向は、ますます強くなった。
講演ライブって、
ほとんどの場合、
ぼくのことを、まったくしらない、
年齢層も、実に様々な人たちを前に、
時には、予想すらしてなかった環境で、
歌い、おしゃべりすることになる場所で。
ある意味、
新しい学校で、
ゼロからコミュニケーションしていく感じと似てると思う。
今までの自分が、
どこまで通用するのかも、
まるっきりわからない状況から、
ひとつの空間を作っていく作業は、
毎回やっぱり不安でもあり、
とっても大変なんだけど、
ライブ参加してくれた人たちと、
「出会えたッ」って感じられた時の、
あの、うれしさや充実感は、
それこそ、何ものにも、換えがたいものがある。
先週おじゃました、
愛知県岡崎市の中学校では、
MCの合間に、
思わず笑ってしまったぼくを観て、
客席からも、
笑い声が聴こえてくるってことが何度もあった。
その笑い声を聴いただけで、
ぼくはとても自由になれた。
それこそ、通いはじめた教室の中で、
はじめてクラスメートと言葉を交わし、
自分の居場所をちょっぴり見つけられた時のような、
おだやかで、
肯定的な空気の中にいる感じ。
今目の前にいる人と、
「出会えたッ」って感じるのは、
まさに、こんな瞬間だ。
笑い声や拍手、
感想メールを通して感じる《出会い》こそ、
活動を続けていける、
一番の原動力だ。
4日前、
みんなの笑い声や、
拍手が響いた体育館では、
今日、卒業式が催されたはず。
別海や丸亀から、
熱い感想メールをくれたみんなの進路も、
そろそろ決まってきてる頃かなぁ。
卒業を迎えたみんなの中には、
昔のぼくのように、
未来への期待より、
不安の方が、
ずっと大きいなんて人たちもいると思う。
でも、今のぼくは、
そんな、不安の中にいる人たちもひっくるめて、
卒業を迎えたすべての人に、
心から、
「おめでとうッ」と言いたい。
だって、これから飛び込むことになる、
広い広い世界には、
たくさんの《出会い》が待っていて、
そんな出会いを通して、
今まで感じることのなかった、
本当に様々な可能性にも、
気づくことができると思うから。
出会いがある限り、
未来はどこまでも広がっていくんだと、
今のぼくは心から信じている。
そんな出会いを、
あちこちで経験したみんなと再会できる、
《未来》を、
ものすごくたのしみにしてるからネッ!
投稿者 Mプロ : 23:56